2016年シーズン開幕に際して(クラブ変革の年に)

 

2011かつて育成年代で大きな成果をもたらしてくれた選手たちの円熟期後半の時期、

最後の貢献をと集まってくれた面々によってチームはそれまでで最も期待が出来る陣容と

なっていた。このチームの創生期から長きに渡ってアイデンティ一筋でリードしてくれた

大澤、亀谷の歴代キャプテン、同世代のJFL横河で長年プレーした清水、JFLジェフリザ

ーブズで活躍した蓮沼、水戸ホーリーホックで活躍した大谷、生え抜きで明海大をはさみ

長年アイデンティに尽くしてくれた川上、伊賀、同世代の酒井、平尾たち。違う世代で全

国大会にクラブを導いてくれた選手たち。サッカーから離れながらこの年一緒に戦うメン

バーに復帰してきた村松、小林。シーズンは期待されるものであったが311日を境にク

ラブは存続さえ考えなければならないほどの状況に徐々に押され、チームは後半くずれ

4位に終わる。しかしかれらのクラブを思ってくれる心を、クラブは決して忘れない。

 

そしてその後の3年間は世代交代と降格争いの最も苦しい3年間を迎える。タイミングや

運と言うものを強く感じさせられる時期の連続。

2012リーグ残留が決定したのは、リーグ後期の最終戦。それも後半43分クラブで最も

忘れがたいシーンとなる伊賀選手によるCKからの直接シュートによるゴール。これに

より勝利し、かろうじて残留が決定。このゴールも伊賀選手も、このピッチで戦った選手

たちのこともクラブは決して忘れない。

 

2013残留決定は再び後期最終戦。前年同様同時刻に別会場で開催の直接のライバルの 

ゲームの情報を入れつつの戦い。チームは残留した。すでにチームの何人かはユース上が

りの10代の選手たちに代わり、この重課を背負わせることになっていた。

この年ユースから10名近くが昇格。大学生の多くは八王子、都内から練習に来てくれた。

彼らがいたからこそ世代交代も可能になった。3年間彼らのほとんどがこの遠い道のり 

往復しながら戦ってくれた。働く選手も戦い続けてくれた。

その努力をクラブは決して忘れない。

 

2014後期最終節前の試合で残留決定。一歩前進。チームは20歳になったメンバーが中

心のチームに変わっていた。年上ではGK青山、深澤、佐野、成島らがリード。

チームは5位へと最終順位をひとつ上げた。県知事杯では決勝に進出したが、敗れた。

 

2015ほとんどが21才年代の選手のチームになり、選手たちにも大人としての成長が

見られ始める。同時にグランドが人工芝化され、モチベーションも高まり、期待度も高ま 

った。後半立ち直ったもののスタートに詰まづきリーグは4位とまた順位をひとつ上げた。

 

2016に向けて、クラブはトップ強化に大きく舵を切ることに。時代とともに変化して

いる状況で、上に向かうチームに必要なものを備えていくべく選手獲得に動く。幸いに

して多くの選手を獲得でき、前シーズンのコアなメンバー約15名から半分が退団となっ

た。かれらのほとんどは今年も構想内の選手たちだったが彼らの意思でもあり、物理的な

問題から未練の残るものでもあったろう。それまでの年数を考えたときその複雑さ 

当然のことである。自らの意思で残留しやっていこうとした選手もいる。サッカーを生活

の中心に据えて戦っていける選手でやっていくことを掲げ、時間的な制限もあった結果

だがそれぞれの決断でもあった。クラブはそれらを超えて前に進むことを決断していた。

 この先の結果はわからない。ただ前に進んでいくだけである。

 

この苦しい3-4年間、若くして重い責任を負い、それでも自らを成長させながら彼らは

戦ってくれた。中学生から数えて9年間。青木、森田、村本、鈴木、伊藤、渋谷、酒井

樋口、吉葉。ユース時代から6年間の付き合い。

ある者は就職し、ある者たちは3年間片道2時間半を往復してやってくれた。

この選手たちをクラブが忘れ去るはずがない。その努力の継続には最大の敬意と感謝を

捧げたい。

 

周りでどんなことを言われようとクラブはこの選手たちの友であり、家族で有り続ける。 

ここに述べたすべての選手たちがいなければ今はない。幸いにして多くの選手たちが別の 

活躍場所を見つけまたこのクラブの活動に戻ってきてくれている。みんないつまでも仲間

であり、彼らのことをクラブは決して忘れない。

 

自分を磨き、楽しみ、クラブに大きな貢献と足跡を記してくれた選手たちのことを 

クラブは決して忘れない。

 

これがこのクラブの根本のコンセプトでありこのページにまず記されるべきこと。 

この先も後継者たちがこのページの下に同様の歴史を記していってくれること、この

クラブのマインドを継承し続けてくれることを願う。

クラブのひとつのエポックの始まりの年に。

 

 2016年4月8日

 

                                富田 哲二